何を求め、何を思い、どこに向かって、どこに辿り着くのか
蒸し暑い。暑い。だが夏は嫌いではない。強い日差し。光。明るい外を歩くのも悪くない。さあ、といって勢いよく近所のスーパーに買い物に出かけるが、 ほんの数メートル歩いただけで自分の想像力の足りなさを思い知る。さっさと用事を済ませて家に戻るべし。
子供の成長とともに、自分自身の人生をなぞるように、同じ年齢だった頃のことを思い返す。 中学3年生の娘が受験勉強をしている。高校の説明会に行く。娘は部活の引退式と重なってしまったので、妻と二人で出かけた。暑いなか、坂を登る。 私が通っていた高校も坂の上にあった。長く急な坂の上にあった。
川沿いに続く町並み、いきなり江戸時代、佐原を歩く。 息子と二人で日帰りの旅。暑い、暑い、夏の日だった。 伊能忠敬が住んでいたという古い家を覗く。ザリガニがいた。 伊能忠敬が地図を作り始めたのは55歳から。それから17年間、日本中を歩いたという。 駅の近くに綺麗な施設があって、図書館が入っていたり、カフェがあったり、 そこで涼み、帰りの電車が来るまでの時間を待つ。息子はリンゴジュースを飲み、 私はレモンスカッシュを飲みながら。
それからしばらく暑さが落ち着いた日が続いた。朝のひととき、窓から入る風がひんやりと心地よい。 最近読み終えた小説は一人の作家をめぐる物語で、とても長く複雑な構成で、語り手が次から次へと入れ替わり、 誰の話だか何だかよくわからなくなるのだが、確かに、人生って皆、誰の話だか何だかよくわからなくなる、そういうものかもしれない。
彼の内にはおそらく、たった一つの作品しかなかったのだろう。たった一つの偉大な作品だ。 結局、どの作家にとっても真に重要な本は一冊しかないのかもしれない。 虚無と虚無に挟まれた、どうしても書くべき書物。 この夜、ぼくにはすべてが穏やかで明白に思えた。
モアメド・ムブガル・サール 野崎 歓 訳『人類の深奥に秘められた記憶』